SPECIAL 1
KFCのこだわり

どうすれば、ずっと続く
ブランドがつくれるのか?
日本ケンタッキー・フライド・チキン 株式会社
(以下、KFC)が、
日本に上陸して50年が経ちました。
一つの事業やブランドが50年も続くことは、
簡単なことではありません。
オリジナルチキンのレシピが編み出されたのは1940年。
創業者カーネル・サンダースが10年の歳月をかけ、
11種類のハーブ&スパイスからなる
“誰にも真似できない味”をつくり上げました。
そんなアメリカ生まれのおいしさを、どうやって、
私たちの毎日に定着させていったのでしょうか。
それは、挑戦と失敗の繰り返し。
これまでの私たちの取り組みをご紹介します。
チキン専門店だから、
「手づくり」にこだわる。
ってどういうこと?
KFCと言えば、カーネル・サンダースが編み出した唯一無二の商品「オリジナルチキン」が有名です。この商品はひとつひとつをお店で手づくりしているのです。生のチキンにひとつひとつ粉付けして丁寧に調理し、こだわりの「おいしさ」を届けること。国内産の安全・安心な食材を厳選し、そのこだわりを守り抜いてきたからこそ、50年もの間、お客さまを惹きつけることができたのです。
Efficiency
どこまで効率化するべきか?
時代に合わせて考えていく。
何を手づくりにして、どこを効率化するのか。”手づくり”にこだわる私たちは、守り続けるもの、効率化で変えていくものを日々追求してきました。お客さまの期待は、どんなところにあるのだろうか。店舗でのオペレーション※をより効率的にしながらも、お客さまへホスピタリティを届けるためには、どんなふうに工夫を施せばいいのだろうか。変化がスピードアップしていく時代の中で、人々の気持ちの変化を汲み取りながら、私たちは常に考え続けトライを続けているのです。
※店舗を運営するためのスタッフ業務管理や作業手順などを指します。
Education & Training
手づくりの「おいしさ」のために。
正しいチキンの調理法を指導する。
店舗でオリジナルチキンを手づくりしているのは、主にパートナー*。
店舗で働く20名、30名といったパートナーを育成し、調理法を伝え、人の手を通して「おいしさ」を伝授していくということになります。チキンの調理担当者は、「チキンスペシャリスト」というKFC独自の認定資格の取得が義務づけられています。それに加え、一人ひとりの想いが大切になります。だからこそ、パートナーのモチベーションを高め、仕事の面白さを伝えていくのも社員の仕事。店舗という一つの組織を、お客さまの期待に応えられるチームへと変えていくのは、店長や副店長の手腕。だからこそ、一人ひとりの人と向き合う力が試されるのです。
しなやかに、挑みつづける。
それが、KFCの経営そのもの。
1st Challenge
創業したときから、
「人を大切にする」こだわり。
KFCブランドは1970年、大阪万博のアメリカ館に出店したパイロット店で日本に上陸しました。ここで、1日280万円の売上を記録するなどの大成功を収めたものの、その後にオープンした一号店は、業績がふるわず…。なんと、半年で閉店に追い込まれたのです。当時は、まだ日本人がフライドチキンという食べ物に不慣れな頃でした。創業期を支えた歴代の経営陣は、このときを振り返ってこう語ります。「KFCはピープル・ビジネス。人を大切にすれば、必ずその社員たちが助けてくれる。」そう思って頑張ったそうです。これは、創業者、カーネル・サンダースの教えでもあったのです。
日本KFCの創業メンバーは、
「こんなにおいしいものが売れないはずがない」
という味への自信を胸に、未来を夢見ていました。
失敗の連続
Opened a store
日本上陸四号店目で、
ようやく初の黒字化。
少しずつ暮らしが豊かになり始めた、当時の日本。でも、多くの人にとって外食は、家族で出かける贅沢な時間。今のように、街角でチキンやバーガーを買って食べるという感覚はありませんでした。それでも、オリジナルチキンの可能性に賭けて二号店を出店。けれど、業績は思わしくありません。当時の日本には、アメリカ型の郊外テイクアウトスタイルは難しいと判断。この学びから、四号店以降は、神戸、青山、目黒などの繁華街を中心に展開。戦略は成功し、1973年には100店舗に達するほどになったのです。
Commitment
億単位の利益よりも、品質を
守り抜くことを大切にしたい。
フライドチキンのブームが訪れ、一時は、いくつもの企業が「○○フライドチキン」を名乗るようになりました。価格を抑えることを優先した企業もありましたが、私たちは、国内産のフレッシュな若鶏にこだわり続けました。当時は、日本円が強くなり輸入肉に切り替えれば10数億の利益が出る時代でした。けれど、私たちは国内産の若鶏を使い続け、安全・安心なおいしさにこだわりました。それは同時に、鶏を育ててくれる養鶏農家の情熱を大切にすることでもありました。
Take root
どうすれば、新たな文化を
日本に定着させることができるのか?
もっと、この国にフライドチキンを馴染ませていきたい。そんなとき、ひとつの発想が生まれました。「クリスマスがある!」。
70年代は、その後に訪れる華やかな時代へと日本文化が大きく変化していく時期。欧米のスタイルに憧れ、積極的に取り入れていった時期でもあります。
そんな中、KFCのフライドチキンが定着したきっかけの一つは、店長がクリスマスのイベントでサンタクロースの格好をしたこと。店舗近くの幼稚園や小学校に招かれ、サンタクロース姿で慣れない踊りを披露したところ、子どもたちは大喜び。これをヒントに『クリスマスにはケンタッキー』を広くアピールしたのがきっかけになったと言われています。1974年には大規模なクリスマスキャンペーンを開始し、たくさんの家族のクリスマスを彩ってきました。こうしてKFCは、しあわせの日の象徴となることができたのです。
フライドチキンで、
日本の新しいクリスマスをつくる。
Making Japanese Christmas
バーレルに幸せを詰め込んだ。
冷と温の両立に、本当に苦心した。
こうしてクリスマスのメニューにフライドチキンが定着したころ、パーティバーレル(オリジナルチキン、サラダ、アイス、絵皿)が誕生します。冷たいものと温かいものを1つのパッケージに詰めるなんて、当時は前例のないこと。新しいスタイルを生み出す挑戦は、苦難の連続でした。
1985年11月に世に送り出した「パーティバーレル」は、”ケンタッキーのクリスマス”の決定打になりました。それからは毎年、詰め合わせの内容も、パッケージのデザインも、少しずつ時代に合わせてリニューアル。こうして、私たちの「おいしさ」でみんなのハートをつかんできたのです。
「おいしいもので、
人をしあわせにする」
ことへのこだわりが、
KFCをつくっている。
QUESTION!
キミなら
KFCのこれからを、
どうつくる?
“日常化”への挑戦
お客様の利便性の追求