CAREER STEP
キャリア
ステップ

KFCにとって何よりも大切な
チキンの調達管理を行う、
「上田 洋(購買部)」の
キャリアステップストーリー。
チキン調達の需給の管理を行う購買部。年間約3万トン、3千万羽分のチキンを国内のKFC登録飼育農場から調達する。そんなKFCの価値を支える部署で活躍する上田。
学生時代からKFCでアルバイトをし、さまざまな部署でチャレンジを重ねてきた上田のキャリアステップストーリーとは。
上田 洋
購買部
高校3年生から大学卒業まで、KFCの店舗でパートナーとして働く。2005年に新卒で入社。2009年に店長を務めたあと、人事、経営企画とキャリアを広げ、現在は購買部に。KFCの中核であるチキンを取り扱う重要なセクションに属している。奥深い購買の世界で、スペシャリストになるべく奮闘中。
2005年
店舗スタッフ時代
学生時代、アルバイトとしてKFCでの経験を積んでいたため、最初に配属された吉祥寺南口店では、意外なギャップに悩んだ。その悩みは、2店舗目に配属された京王永山店で出会った店長により、オリジナルチキンへのこだわりや、お客さまへのおもてなしを学び直すことで解消。アルバイトでは学べない社員としての視座が自分のものになった瞬間だった。
くるる府中店では、別店舗も兼任していた店長に代わって、オペレーションからパートナーの採用・教育まで幅広く担当。採用したばかりのパートナーを1から育てる面白さに気づいていった。
2009年
店長時代
店長になり、初めて部下を持つ。パートナーを育てた経験はあるものの、社員を育てるのは初めて。大切にしていたのは、日々の小さな成長も見逃さず、褒めて自信をつけさせていくこと。イトーヨーカドーららぽーと横浜店では、ショッピングモールならではの難しさも経験。他の店舗も並ぶなかで、選ばれるために店頭POPで遠くからでも目立つようにしたり、行列が長くならない工夫を凝らした。戦略的に考え実行するほど成果が出て、店舗運営の楽しさを実感した日々。
2012年
人事企画部
先輩からのアドバイスをきっかけに人事企画部への社内公募に応募。個人的には、家庭を持ったことで新たなキャリアにも挑戦したい時期だった。店舗経験を活かして、就業規則改定に携わる。店舗社員時代に改善したいと感じていたことに向き合いながら「痛みの分かる人事」を目指す。外部からコーチを招いての会社の取り組みの見直しや、インナーコミュニケーションの企画を行った。
2014年
経営企画部
人事企画部での経験を経て、中期経営計画の策定のほか、人事部主導のプロジェクトに参画。経営という視点からKFC全体を眺めたことで、より視野が拡大されていった。転機となったのは、総合商社出身の上司の存在。“伝わるレポートの書き方”や“部署間のコミュニケーション”について、大きな刺激を受けることができた。外部の視点を持つ上司から、KFCが目指すべき組織文化について薫陶を受けた。社内にアイデアボックスを設置。大学とコラボした新商品を開発。「柔軟な意見を取り入れる」会社づくりに取り組んだ。
2015年
人事総務部
2年間、新卒採用に携わっていた。もっと多くの人にKFCを知って欲しいと試行錯誤を重ねる日々。「学生の視点に立って、様々な企画を立案しました。深く考えて実行していたから、今でも、自分が採用した新卒社員が、活躍している姿をみるととても嬉しいですね」。
現 在
購買部
購買部で扱う数字は、年間でチキン3千万羽と大きい。KFCにとってチキン調達はミスが許されない大切な仕事。そこで、天災などのトラブルに備えて、各産地の生産状況を常に把握し、供給を切らさないよう工夫している。農場研修では卵から孵化するところから出荷までを経験し、農場の人たちの苦労や鶏への愛も感じた。責任の大きさが身に染みた。「購買を滞りなく進めることは、KFCを運営するための前提条件。生産者の方々と関係を築きながら、数億の取引をいかに安定的に行うか。今、仕事の奥深さを感じています」。
経営管理部の一員として
グローバルな視点を身に着ける、
「市川祐未(経営管理部)」の
キャリアステップストーリー。
店長経験を経て、現在は経営管理部で中長期的な経営戦略の策定や、海外事業の窓口に携わる市川。実は、入社前は海外留学を選ぶか就職を選ぶか、と悩んだ。入社後は店長にステップアップすべきか悩んだことも。転機の度に出会いが背中を押してくれた、という市川のキャリアステップストーリーとは。
市川 祐未
経営管理部
2009年に新卒で入社。副店長を1年務めたあとに、3ヶ月間オーストラリアへ研修に。フードサービスを、現地のKFCで学ぶ。その後、銀座INZ店の店長を経て、経営管理部へ異動。仕事内容が大幅に変化する中、店舗時代の経験と語学力を活かし、現在は、社内会議体の運営、タイを含む事業投資先の業績モニタリングや報告資料の作成などを通じて、経営支援にも携わっている。
2009年
新人時代
大学卒業後は、海外留学をするか就職かで悩んだ市川。当時のKFCには「語学研修※」を希望できることを知り応募。面接を担当した人事の皆さんが明るく、社内の温かさが表れているようで、その雰囲気に惹かれて入社を決めた。新人時代は、オリジナルチキンのつくり方を1から学んだ。新入社員のころは、パートナーの方がキャリアが豊富なので、彼らに信頼されるために必死になって技術を習得した日々だった。“調理器具の使いやすい配置”や“いつ何を準備するかのスケジューリング”など、自分らしい工夫を施す中で、周囲からも認められる存在になっていくことができた。
※2021年2月現在は制度調整中。
2011年
副店長時代
副店長になり、オペレーションだけでなく、店舗の管理面にも関わるように。手づくりにこだわりながら、前年実績を参考に調理数を予測するなど数値感覚を養っていった。また、ロスが出た際には、“つくりすぎてしまったため”か、予想より“お客さまが少なかったのか?”などの要因を分析。副店長としての視点を少しずつ身につけていった。
2012年
語学研修
挑戦したいと考えていた、語学研修。応募資格である「副店長になって1年」を迎え応募。TOEICの得点と英会話での面接をクリアし、3カ月間、オーストラリアの語学学校に通いながら、フードサービスビジネスを視察。オーストラリアのKFCは日本にないメニューや設備があり、セットのボリュームも違う。また、世界中から集まる留学生との日々は、新しい発見の連続だった。語学研修後は外国人のスタッフが多い梅田HEP通り店へ。語学研修で得た経験を活かし、海外からのお客さまがネームタグを見ればその従業員が何語を話せるかが分かる仕組みを提案。それが好評を得て、他店舗でも取り入れられるように。
2015年
店長代行時代
店長代行時代は多様な店舗を経験。最も印象的なのは、海外からのお客さまが多い、秋葉原店時代。外国人のお客さまやパートナーを言語面でサポートしながら、売上に対する人員計画などの経営感覚を身につけていった時期。同時に、生まれた国が違うメンバーたちが、KFCらしいホスピタリティを身につけいくことが喜びでもあった。
2017年
店長時代
店長になるまで、意外と長かったと語る市川。その理由は、自分の中で店長になる覚悟ができていなかったため。そんなとき、配属されたのが中野店。パートナー、社員含めて一体感があり、厳しさと温かさの両方があるチームに出会い「自分も、こんなお店をつくりたい」と思った。当時のエリアマネージャーが市川の背中を押したいがために配属した店舗でもあった。その想いを実現させるべく、その後、銀座INZ店の店長に。店舗のトップとして市川がこだわっていたのは‟安全“。高温での調理も行うキッチンでも、安心して働いて欲しかった。また、海外生まれのスタッフが増え、価値観が違う中で品質を保つ難しさに直面。衛生教育も工夫するなど、力を入れた。
現 在
経営管理部
予想外だった、経営管理部への異動。ここでは、店長時代の経験と語学力が活かされている。現在は、社内会議体の運営、タイを含む事業投資先の業績モニタリングや報告資料の作成などを通じて、経営支援にも携わっている。「転職したかと思うほど、仕事内容が変化しました。店舗時代は、『お客様と接することで、KFCブランドの顔』としての責任を感じていましたが、今は日本KFCホールディングスの窓口としてビジネスパートナーと接していかなくてはならない。私自身、これまでより広い視野を持つ必要があります」。財務や事業投資、M&Aなど学ぶことは多い。「毎日が挑戦ですが、今の業務をもっと極めていきたいです」。
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